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コラム
「俺とエランと米子の街」
表題作でもあるこのページ「俺とエランと米子の街」では、私の周辺でおこる様々な出来事、「米子の街」の紹介やお薦めスポット、「エラン」や「ロータス」に関するエピソード等を一話完結スタイルで綴ったエッセイ風短編集です

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No4 コーリン・チャップマンとロータス
 

当然の事であるが、俺は米子の街で生まれ、米子の街で育った。 そういう訳で、かれこれ40年以上にわたって、俺は米子の街を見守ってきたことになる。
どこの地方都市においても同じ事であろうが、米子の街もまた、大きな変化のひとつとして、完璧なる車社会へと変貌をとげてきた。 会社員に主婦、そして学生さんに至るまで、便利な手足となった現代の車に乗って、あらゆる生活風景を演出してくれている。 車を運転している彼らの表情からは、車に対する違和感とか、あるいは恐怖感などは一切感じられない。 運転中におしゃべりをしたり鼻くそをほじったり、そして、これまた便利な道具となった携帯電話などを使用したりしながら、誰もが楽に車を運転しているのだ。 本当にありがたい幸せな事であると、俺は心から、この現代社会に生きている喜びを感じているのだ。
このように安全で、快適で、そして性能の良い車は、当たり前の事ではあるが、過去の幾多のレースから得られた経験を生かして完成されてきたものである。 自動車の歴史はモータースポーツの歴史であると言えるが、同時にそれは、男の情熱とロマンの歴史でもあったのだ。 モータースポーツ、そして男の情熱とロマン、このふたつのテーマについて考えるとき、俺は決まって、今は亡きひとりの男コーリン・チャップマンを想い出すのだ。

 コーリン・チャップマン、正しくは、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマンと呼ぶ。 このひとりの英国人について語るとすれば、いくら紙面があっても足りない程である。 それはまさに60年代から70年代にかけての、英国において、いや世界においてのミラクル・サクセスストーリーなのだ。
英国人は趣味人であると言われるが、チャップマンもまた、偉大なる趣味人であった。 解体業者から集めた部品を組み立てて、自分流の好みのマシーンを作り上げると言う、いわゆるバックヤード・ビルダーとして彼の自動車趣味はスタートを切る事になる。 バックヤード、すなわち裏庭にある納屋とか小屋のような所で、車造りをおこなうのだ。
当時、第二次世界大戦から解放された人々は平和に飢えていた。 久しく遠ざかっていた平和を求めて、また再び還ってきた自由の象徴として、チャップマンを含めた多くのバックヤード・ビルダーたちが生産するマシーンが、モータースポーツの舞台で花開くこととなる。 絶え間ない技術革新によって、人々の見守る華やかな舞台で頂点を極める事が、当時のバックヤード・ビルダーたちの目標であり、成功への道でもあった。

 このようなバックヤード・ビルダー、すなわち趣味人たちの中にあって、コーリン・チャップマンは単なる趣味人にとどまらず、技術者として、さらには経営者としても一流の才能を持っていたのだ。 彼の選んだ車造りという趣味の対象が、彼の一途とも言える執念と欲望によって大きく成長し、大輪の花を咲かせる事となる。 それはあたかも、欲望と言う泥沼の中より出でて、しかし泥には染まらぬ美しい花を咲かせると説く、あの法華経の蓮の花を連想させる。
1952年1月1日、ロンドン市の北にある、馬小屋を改造した小さな工場で、彼は、正式に法人組織として車造りをスタートする。 当時、東洋思想に深く傾倒していた彼は、社名をロータス( 蓮の花 )と名づける。
 

このときより、変わることなく続いてきたロータス社のマークには、彼の正式名アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマンの頭文字であるA、C、B、Cの4個の英文字が、彼の亡きあとの現在も、緑色の蓮の葉の中にしっかりと刻まれているのだ。